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御徒町に行ってきました。

2011.06.21(23:57)
こんばんは。
8823スタッフの榎本謙太です。

今日は、御徒町~秋葉原~お茶の水~神保町と歩いて廻りました。
問屋様の展示会に行ったり、自転車店を覗いたりしたのですがその辺りは
明日にでも写真付きでお話させていただきたいと思います。
今日は、上野を歩きながら父と話した競輪学校の入学資格のお話をしたいと思います。
なんだかんだちょっと濃いです。

自転車業界に長くいらっしゃった方なら長義和さんという方はご存知の方が多い
かと思います。
モスクワオリンピックにどうしても出場したくて、競輪学校を辞退したにも関わらず
日本自体が冷戦の影響でモスクワオリンピックを辞退した為、出場がかなわなかった
という悲劇の選手となってしまわれたあの長選手です。
モスクワオリンピックの事に関しての詳細は、『さらば麗しきウインブルドン』と
いう本の一項目に書かれているそうなので今度読んでみようと思っています。

今日のテーマは、モスクワ五輪の事ではなくて当時の競輪の入学資格の事なんです。
当時、競輪選手は24歳までにならなければなりませんでした。
つまり、大卒の場合には大学を卒業したらすぐ選手にならなければ競輪選手すなわち
プロとして生きていく道は閉ざされてしまうわけです。
ただ、当時の競輪学校の入学試験で実施されていた学科試験というのは中学卒業程度
とはいえそれなりに難しいものだったそうなのですが大卒だとそれが免除されると
いう特権があったそうです。

競輪業界自体が斜陽産業となるなかで年齢制限含めた様々な制限が撤廃されている今
となっては信じられないですよね。

ですから、井上茂徳選手(法政大学中退)がわざわざ中退してまで競輪選手を早く
目指す理由が父から話を聞いた当時はわからなかったのですが、家庭の事情もあったの
でしょうが当時の競輪業界自体の閉鎖性というのもその背景にはあったのだなという事が
わかります。
ちなみに、長選手と井上選手は長選手が競輪学校に入学していれば同期となっていたそうです。
長選手については、父の法政大学の後輩という事もあり人柄等に関する話を聞く事が多かった
のですがここではあまり関係ないので控えたいと思います。

古くからの名店である横尾双輪館様のサイトを見ると、以前お話ししたフレームビルダーの
長沢義明さんと長選手の事が、『さらば麗しきウインブルドン』に書いてあるみたいですね。
神保町の古本屋で探せばよかったな。

いまや、カーボンフレームで女子競輪が始まって子育てを終えた主婦の方が競輪学校に入学する
時代なわけですからね。
時代は、変わるものですね。

問屋様の展示会の名簿欄には、都内の有名ショップの名前がずらっと並んでいました。
ホントにここに名前書いていいのかなとおもったのですが、

「福生 サイクルラボ8823(はやぶさ) 榎本×2」

と書いておきました。
覚えてもらえるかな。

その辺りの話はまた明日にでも。
おやすみなさい。
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